アニメ『BanG Dream! Ave Mujica』最終回13話挿入歌・Ave Mujica「天球(そら)のMúsica」歌詞の意味を考察!
Ave Mujica「天球のMúsica」歌詞や曲名の意味、ライブシーンと演劇パート、作詞作曲者、CD情報などを掲載!
『BanG Dream! Ave Mujica』最終回13話挿入歌
Ave Mujica「天球(そら)のMúsica」はアニメ『BanG Dream! Ave Mujica』最終回13話挿入歌。「八芒星ダンス」「顔」の楽曲がライブで披露された後、豊川祥子が忘却の女神、三角初華・八幡海鈴・祐天寺にゃむ・若葉睦が忘却を望む騎士という世界観の演劇パートがあり、「天球のMúsica」のライブシーンになっていました。そのライブシーンでは星座が映し出され、星が降り注ぐ様子は浄化的なシャワーのように感じました。
演劇パートは神話的な視点だと、忘却の女神である豊川祥子が、悲しみ・恐れ・愛・死に対して苦しみがある騎士の三角初華・八幡海鈴・祐天寺にゃむ・若葉睦に忘却を与えることで、一時的に苦しみを解放・浄化している雰囲気を感じました。根本的な解決はできない状況・悲劇的な運命がある中で、Ave Mujicaのライブは一時的な退避所・偽りの楽園という見方もできそうです。それに連動して、楽曲も浄化的な安らぎを感じるサウンドになっていると思います。
「天球のMúsica」を演奏した後は八幡海鈴が胸に手を当て、祐天寺にゃむが八幡海鈴の肩に腕を乗せた後、2人でポーズをしています。若葉睦にライトが当たると、モーティスの演技に羨み憎んでしまうほどの愛に苦しむ祐天寺にゃむが睨みつけていました。若葉睦は鏡を見て笑顔のモーティスが映っていたので、融合・成長した若葉睦になっていると解釈できます。三角初華は穏やかな表情で剣をかざし、騎士4人が仕える豊川祥子は深々と観客にお辞儀をしていました。
曲タイトル考察
「天球のMúsica」は天球を「そら」と読むので、仮想の球を現実的に見ようとする様子=偽りの楽園を表現していると考察できます。悲劇的な運命が待ち受けているとして、今は幻想で一時的な浄化をする地点にいるイメージが湧いてきます。
以前に三角初華がプラネタリウム(偽物の星)を見ていたシーンは、最終回で出てきた表現「うたかたの箱庭」に繋がり、嘘の箱を見ている状況も連想されます。
三角初華がプラネタリウム、高松燈が本当の星を見る対比も以前ありましたが、Ave Mujicaが虚構的に進む様子とMyGO!!!!!が迷いながらも現実的に進む様子の対比になっていると感じました。
「天球(そら)のMúsica」歌詞意味考察
アニメ『BanG Dream! Ave Mujica』最終回13話挿入歌・Ave Mujica「天球(そら)のMúsica」歌詞では、「行こう明日へと 美しい時を 人は忘れてく いつかは消えてく」のフレーズがあります。
忘却の女神・豊川祥子から忘却を与えてもらって、一時的にトラウマを忘却したところで、人はいつか死亡するなどの長期的な運命・時の流れからは逃れられないと考え、一旦それを美しいと受け入れている印象です。
広い視点の輪廻や因果には逆らえない中で、メンバー個人としては精神的な避難所=Ave Mujicaで自分の苦しみを一時的に浄化しながら、日々を生きる儚い雰囲気を感じます。
「もしもこの歌が そらに夢の続きを描くのなら」の歌詞は、悲しみや恐れを忘却することで希望が訪れる様子を仮定的に考えていて、バンド活動に明るい夢を抱いている印象です。それは幻想&時の流れ的には一部と分かった上で、自ら嘘の楽園を求めつつ、生きた証を作ろうとしていると解釈できそうです。
時の流れからすれば、人間の悩みが全て小さく思えて、メンバーの喧嘩や解散騒動も相対的に小さな出来事になると思います。そこで、いつか死ぬ前にバンドで夢を見たい・トラウマを一旦忘れたいと思うようになり、長期的な悲観と短期的な希望の幻想が交ざった状態という見方もできそうです。個別の悩みやギスギス要素を上回る自然の摂理をぶつけるのは、ある意味で最終回らしい挿入歌だと感じました!
作詞作曲者
Ave Mujica「天球のMúsica」
アニメ『BanG Dream! Ave Mujica』最終回13話挿入歌
作詞:Diggy-MO’
作曲:高橋涼(SUPA LOVE)・Diggy-MO’
編曲:高橋涼(SUPA LOVE)
CDリリース情報
Ave Mujica「天球のMúsica」は2025年4月23日発売・Ave Mujica 1stアルバム「Completeness」に収録!
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